おりがみについて > おりがみの歴史

おりがみの歴史

7世紀初めに大陸から紙の製法が日本に伝えられたのち、日本人の工夫によって薄くて丈夫な紙、「和紙」が生まれました。はじめ写経や記録が紙の重要な用途でしたが、神事にも用いられるようになり、神への供物など様々なものを紙で包むようになりました。やがて供物や贈り物を包んだとき紙に折り目がつくことに着目して、包みを美しく折って飾る儀礼折が生まれてきます。

 

室町時代(14,15世紀)に入ると小笠原家や伊勢家によって様々な礼法が整えられ、紙包みの礼法(儀礼折)もそのころ考えられたものです。今も使われている熨斗包みや雌蝶・雄蝶などの折り方はその名残です。

 

やがて礼法や決まりから離れて、折り方そのものを楽しむようになったのが「折り紙」です。江戸時代に入ると紙の生産量も増え「折り紙」はいっそう庶民に親しまれるようになりました。寛政9(1797)年には世界で最も古い折り紙の本「秘傅千羽鶴折形」が出版されています。

 

明治時代に入ると、「折り紙」は幼稚園教育にもとりいれられ、小学校では手工や図画でも教えるようになり、ますます盛んになりました。現在では、「折り紙」は世界各地に広まり、折紙愛好家の団体がいくつもできて盛んに活動を続けています。

「新撰人物 折形手本忠臣蔵」(吉徳これくしょん 蔵)
「新撰人物 折形手本忠臣蔵」(吉徳これくしょん 蔵)
「新撰人物 折形手本忠臣蔵」(吉徳これくしょん 蔵)
「新撰人物 折形手本忠臣蔵」(吉徳これくしょん 蔵)

なぜ日本に折り紙文化がうまれたか

● 水田稲作文化と方形の美

季節の変わり目に沿った折り目正しい生活と方形の水田が並ぶ直線と正方形や長方形の美しさは、日本人がもっとも見なれた風景です。

また、まっすぐに伸びた杉やヒノキは日本建築にとって欠くことのできない材料です。桂離宮や伊勢神宮を思い出していただければ、直線や方形による日本文化の特色が建築物からもわかるでしょう。


● 畳む文化と内向き志向の文化

日本では毎日寝具をきれいに畳んで収納し、和服も畳んで箪笥に仕舞います。和室の畳ももともとは畳んだものなのです。畳むことは整理することを意味します。これは水田稲作を主とした農民の勤勉さからきたものでしょう。

 

連作が可能な水田稲作農業は繰り返し続けられ、人の定住化が進み遊牧とは対照的に移動をしません。中国はもちろんヨーロッパの国々の多くは、羊や牛やラクダを草原に放し移動しながら生活をしていた人たちか、その文化をつよく受けてきた人たちなのです。世界的に見ても遊牧文化の歴史を持たない文化は非常に珍しいのです。

 

日本には一所懸命という言葉があるように共同体の中で内向きの生活をしてきました。それが、限られた資源を有効に利用し、つつましさを美徳とする包む文化を生んだのです。

 ● 紙の伝来と丈夫な和紙の開発

日本の紙の歴史は610年高句麗の僧 曇徴が絵の具や墨の製法とともに紙の製法を伝えたのが始まりと言われています。また、538年には仏教が百済より経典とともに伝えられ、仏教が興隆するとともにさまざまな制度が整えられる中で紙の必要性が高まってきました。

 

国は701年には製紙を所管する図書寮を設け調として納めさせるようになりました。正倉院には当時の紙とともに全国各地の紙の産地の記録も残っています。894年遣唐使の廃止によって日本文化の和風化が進み、日本独特のがんぴ(雁皮)やこうぞ(楮)をねり(とろろあをい)で溶いた流し漉きの技術が開発、発展したと思われます。

 

和紙は、薄くて破れにくく丈夫なのが特色です。それまで書写が最も重要な役目だった紙の用途が、紙の需要にあわせて、襖・屏風など住環境にも使われるようになり、やがて障子・提灯・行灯・団扇・扇子、あるいは紙衣などへと発展していきました。こうした流れの中で、供物を包んだり、形代として神事に用いたりする紙の造形も多様なものになりました。折り紙の直接のルーツと言われている護符や香包みなど包みの文化(儀礼折)も、需要に応じて紙の用途が多様化する中で生まれてきたのです。

「古典に見る折り紙」(日本折紙協会刊)より
「古典に見る折り紙」(日本折紙協会刊)より